バイクでの旅行

こんにちは。オンリーハウスのアカガミです笑い。

ここのところ、ずいぶん寒くなりましたね。
紅葉を通り過ぎて初雪情報を耳にするこの頃・・・
もう少し暖かさが欲しい所ですね!
本日は私のバイク旅行のお話しをさせて頂きます。


私が高校生の中盤から大学生の前半の時期は
オートバイと過ごす時間が多くありました。
バイクでの旅行「ツーリング」も良くしていました。
17歳から19歳の頃でした。
最初の旅行は友人と二人で、50ccの原付で
「能登半島を一周しよう」ツアーでした。

自宅のある横浜を出発、一日目は松本市内の浅間温泉
二日目は直江津から富山市を抜けて七尾に宿泊。
三日目は輪島。四日目は金沢市内。
五日目は東尋坊。六日目は京都。七日目は浜名湖。

そして翌日は箱根を越えて横浜に戻る行程だった様に記憶しています。
原付なので時40キロキープで走ることから。
大型トラックが横をビュンビュン追い抜いていきます。

当時は学生だからお金も無いので、宿泊は全てユースホステルでした。
他の宿泊者との出会良いのですが
オリエンテーションの時間は何故か苦手な私でした。



その後オフロードに興味を持ちました。競技では
エキスパートJ.Rに上がるのがせいぜいした。
そんな中で、良く林道ツーリングを行きました。

箱根や奥多摩に始まり日光から新潟に抜ける
裏男体林道。奥只見から銀山湖や乗鞍などなど
車の少ない山中の未舗装路を制覇?することに
喜びを感じていた頃です。


皆さんは林道に足を踏み入れた経験がありますか??・・・
朝もやの中、雉が目の前を飛び立ち。
突然、野生の鹿が道の前に現れることもあります。
たぬきやお猿さん、ごめんなさいっていう感じです・・・
彼らにとっては人間の動力付き馬の出現はとても迷惑なことでしょうね。
調子に乗ってスピードを出し過ぎ
バイク前輪が流れ崖から谷底に落っこちそうに成ったことも
何度か経験しましたが、なんとかいまこうして生きています。



あの時期から今日まで、原付バイクを駅まで通勤の足として
利用したことは有りますが、最近なぜかまたバイクに乗りたい
と思う自分がいます。
125cc位でも良いのですが、アメリカンタイプのバイク・・・
そう例えば、ヤマハの逆輸入の「ビラーゴ」なんかいいですねぇ
遥か昔の映画「イージーライダー」
そうですピーターフォンダとデニスホッパーが走っていた
あの映画のシーンが頭に浮かぶんです。
バイクで謝肉祭に向かう二人、当時のアメリカの保守的な
市民から疎んじられるバイカー。
ただ一箇所好意的な街「エルシノア」
(ホンダのオフバイクにも在りましたね)・・・1969年です
懐かしむようになったの○○を年を採った証拠でしょうか?。









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是非、お気軽にお声をかけてください。ご指名「大歓迎」です。

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スズコー
営業課 Akagami Masao

ヨットレース

今回は、私のプライベートな部分。かつての思い出です。
振り返ると。結構いろいろなものに首を突っ込んで来た様に
思います。                                                                                            

20091029_01.jpg

そんな中で、今回は「海」と向かい合っていた頃の話です。
私は大学生の頃、鎌倉の材木座の海岸でレーザーという
ディンギー。そうです「ひっくり返る?」ヨットでレースをして
いました。
2年生の5月に縁があり外洋のヨットレースをしている方の
チームに参加することになりました。
それからは、毎週末は油壺の沖で過ごすことになりました。
2月初島(熱海市の沖)を回り戻る初島レースに始まり
11月の伊豆大島を回航してゴールは真夜中になる
小網代カップが終わるまでの期間。週末はヨット漬けの日々でした。
20091029_02.jpg 
                   レースのフィールドは相模湾を出て、沖縄の那覇から東京
                   (実際には油壺)までを約5日間。昼夜、陸の見えない太平洋
                   上をメイストームの中をひたすらつっ走る「沖縄-東京レース」
                   小笠原の父島から油壺沖までの「小笠原-東京レース」
                   油壺ーグァムまでの「東京-グァムレース」などに参加
                   することが出来ました。 
当時、先輩から「若い時に自分の限界を感じる機会と経験を積むことで
君の将来の糧になる」 というアドバイスを聞きながら過ごしていました。
当時、シーボニアのヨットハーバーに初老のお医者さんご夫婦が
7メートルクラスのヨットを停泊させ。仲良くゆっくりと週末を過ごす光景に憧 
れました。
「何時かああいう乗り方(ブルーウォーター)に成る様な
ときが来たとしても今の経験と記憶が活きるんだろうなと信じていました。
現実はまだ当分そう成れそうもありませんが・・・
一度、外洋に出ると自然に向かうことになります。
みなさんの中でも様々な形で自然と向き合う
機会をお持ち方が多いと思います。
私の経験した自然の情景の中での思いでを紹介しますね。
20091029_03.jpg  
                   海には、沢山の仲間達が住んでいます。先の沖縄レースの 
                   時には、種子島沖では「まんぼう」や「海がめ」が海面まで 
                   ご挨拶にきました。四国の沖(陸は見えませんが)では凡そ 
                   10メートルを超える鯨がレース艇の真横を並走します。 
                   更に北上して遠州灘を突っ走っている時にはイルカ達が
                   ピ ョンピョンと跳ね上がり、走り比べを??しに来ます。
                   ある時は自然の景観の美しさを目を奪われることあります。
                   伊豆大島の風早埼をかわしてから
                   更に南下して、波浮沖に至るまでの間は三原山の稜線が
                   一気に海に落ちる(様な)黒々とした
                   崖肌の迫力ある美しさも記憶に残る一つです。 
                                                                                            20091029_02.jpg
夜の海を突っ走るときの恐怖と引き換えに見る、船の後尾の
航海灯に浮かび上がる「夜光虫」の青緑色の神秘的な輝き。
夜空に輝く無数の星などなど・・・
あの環境に踏み込まなければ経験できなかった数々の体験
をすることが出来ました。

そしてこの時の体験は、私に目的を一つにした
チームの中での自らの役割の認識。
他のメンバーの動きを感じ(分かろうとする努力)
補完し合う姿勢と即対応の体のキレ。
目の前のすべきことから逃げない(自分だけ逃げられない)
責任感などを教えてくれた様に
思います。私が20歳から30歳を少し過ぎた頃の体験です。
お蔭様で、社会人一年目からこの時の経験が
生きていたように思います。会社組織の中に
なんのキャップもなく。容易に溶け込むことが
出来た様に記憶しています。
皆さんはあの時、何に夢中になりましたか。
想い出になる「時間」づくり・・・大切ですね。

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東京ショウルーム その2

 東京本社の横に建つショールームに勤務している頃
よく「芸能人」・・・の方々を目にすることがありしました。

当時、テレビドラマのロケハンに建物が利用されることが多く。
先日お亡くなりになった。大原麗子さんが黒塗りのベンツで乗りつけ撮影したり。
本社棟とショールーム棟の間にある「ホワイエ」でお茶していたり・・・
とても綺麗な女性でした。「少し愛して、ずっーと愛して・・・です。

またある時には、
ギバちゃん、時任三郎さん、阿部寛さん、南果歩さん、豊田真帆さんが一同に。

そしてある時には、
中森明菜さんがなんとショールームのスタッフ姿で撮影を
真田博之さんと奥さんの手塚さとみさんが一緒にご自宅を建てるのに、玄関ドアーを
見に来たり・・・・などなど
いろいろな場面に遭遇しました。役得?でしょうか。
当時はトレンディードラマ全盛でしたから、スタッフも私も、もうだだのミーハー化です。


しかし、あの人たちがかもし出す「オーラ」は何なんでしょうか?
不思議ですね!
確かに、違うんです。同じ人間なのに・・・と思ったものです。
大阪ショールームにもいろいろな俳優が来ていた様です・・・

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日本全国を回りました

地域ショールームの新規出店の仕事を担当していた頃。
毎週の様に飛行機や新幹線に乗っ ていました。
北は北海道、南は沖縄まで・・・
仕事で訪れたことがない都道府県は4箇所のみと成ってしまいました。

おかげであれだけ地理の勉強で、うろ覚えだった日本地図上の各県の位置や
県庁所在地が頭のにインプットされました。
人は経験と必要に迫られると以外と出来るものです。

但し、多くは日帰りの「とんぼ返りの日々」です。朝一番で現地に向かいます。
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現地で担当部署の人や業者と打合せや候補地の調査を行い、
最終便で東京に戻るという具合でした。

私の今の目標は、いつかプライベートで、かつて歩いた各地を訪れることです。
当時も限られた時間の中で、出来るだけ現地の人の生活に触れるべく、
市内を歩いてタウンウァッチしたり県民性に触れることを意識しました。

沖縄には石垣も含め15回飛びました。
ある時、少し時間に余裕ができたので、那覇空港から(当時は2階建て建物)、
国際通りまで、市内循環のバスに乗りました。
お客さんは少なく、運転手さんと男性のお年寄りが会話していました。
・・が、二人の会話がたったの一言も「理解ができません」
なまり、なんてものでは 無いんです。言葉そのものが違う。
まるで外国語・・・。

同じ経験は青物県の津軽でもありました。
そのときは、荷かごを背負ったおばあさん同士の会話でした。
狭い日本そんなに・・とはいいますがいやいやそんなことは無い・・とつくづく実感しました。 image015.jpg image017.gif image019.gif
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その当時の仕事の足跡が、現在全国に60数箇所以上の施設となり毎日稼動しています。
私は東京、大阪、札幌などの大型施設を加え14箇所の開設まででしたが、
後に担当した方々が当初の計画を現在の開設まで引き上げてくれました。

いま各地域で、建物を検討するユーザーの方がショールームで実物を確認しながら
検討をする光景が現実のものとなりました。

あの準備室から一つのトレンドの流れの実現に、20年あまりの「とき」を要したことに
なります。
そしてそこでは、あの時に経験した「その地域の言葉」が飛び交っていることでしょう。

因みに、当時お世話になっていた企業は現在、連結で1兆円の年商規模になっています。
同業他社の追従を許さない差別化・・・は、将来を見据えた「ユーザーの」思いを具現化する
ことによってのみ実現できるのだなぁ・・と実感している今日この頃です。


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東京ショールームで

東京のショールームのオープンの際には、
全国から約3,500社の自社商品を扱って頂いている
代理店・販売店さんをお招きして施設案内のイベントを5日間運営し。
翌週からは地域ごとに工務店さんを誘致しての施設活用のご提案。
50−135人収容出来る7つの会場で来場者に説明を繰り返す日々が
約半年が経過したある日、突然東京のショルームの副館長に任命されました。
本社となりの3500坪の施設です。
下には70名のスタッフ、特に女性のコーディネーターが9割という。
今までに経験のない、私にとってまさに青天の霹靂とでも言う仕事です。

嬉しいかって?とんでもありません。内心冷や汗ものでした。
当時の上司は、俳優の船越栄一郎さんの従兄弟で。
入社のときから所長研修も含めてお世話になった教育担当の大先輩です。

今回はそんな中でスタートした副館長さんの仕事を通して、
私が経験したことから学んだことをすこしだけご紹介します。
マイホーム検討の際にお役にたてて頂ければ幸いです。

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ショールームには64名のスタッフが働いていました。
皆さんは、彼女たちの仕事になっている
「コーディネーター」とは、何をすると仕事だと思いますか。

施設を案内して商品を説明する? 実はそれは一部です。
彼女たちはお客様の要望を形にして提案する為に、「4つの調整」を行う仕事なんですよ。

1つ目は、「審美調整」といって見た目の美しさやパランスをプロの立場から
相談に乗ること。
例えば、並ぶ窓の上端の高さやデザインを揃えるなど・・・がこれにあたります。

2つ目は、「機能調整」です。図面からでは分かりにくいのですが、
例えば駐車スペースからや門からのアプローチを考えた場合に、
玄関ドアーの開き勝っては左右どちら開きが良いか。
安全性を配慮してお子さんの部屋の窓はどのタイプが最適かなどを考えて提案します。

3つ目は、「空間調整」です。
キッチンのワークトライアングルを考慮した時に、
どのくらいの空間を確保した方がもっとも使い易いのか。
腰に負担が少なく使いやすい高さは。
ベット脇のスペースは人が通る為には・・
またクローゼットの扉を開ける時に十分な広さが確保できているか・・・
などをプロとして提案します。
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4つ目は、「経済調整」です。
建物の検討を進めるときに、幾らでも予算が増えても良い・・ことは少ないですよね。
予算の制約条件の中で、要望の優先度をヒアリングしながら整理します。
そして、幾つかの選択肢の提示や将来的な対応でも良いことなどの説明を通して。
全体の予算のコーディネイトをします。
この「4つの機能を調整」出来るスキルを持っている。
営業や設計またはコーディネーターに出会えた貴方は、とてもラッキーだと思います。
きっと貴方の条件に合う最良の選択に導いてくれることでしょう。

結果、貴方はとても住み易く、自分の感性にぴったりのマイホームを
手に入れることが出来るはずですよ。

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